■イラスト付ウッチ歴史百科第3巻私訳版(003-1)

第三章 ワルシャワ公国時代のウッチ

1807年、ウッチはティルジット講和条約に基づいて新たに興ったワルシャワ公国の版図に入った。そこではナポレオン法典が適用された。

通常、ワルシャワ公国時代にはナポレオンによる軍事的、政治的活動を主因として経済が停滞し始めたと思われている。にもかかわらずウッチでは1807-1812年の数年間は引き続き発展の期間であり人口も増加した。このことは、当時の人口統計でみることができる。1808年の人口は434人であったのに対し、1810年のそれは514人であった。

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1809年、旧市街公園沿いのWolborska通りが屈折する辺りにできたウッチ最初のシナゴーグ

1.ユダヤ人の流入

三国分割後の時代におけるウッチの人口増加は、ユダヤ人の急激な流入がその大きな要因となっている。1793年のウッチではユダヤ人家庭は3戸、計11人を数えるに過ぎなかったのに対し、1809年の人口調査ではモーセを信奉する人々の数はすでに98人となっている。三国分割以前にユダヤ人による植民への規制はなかったが、それでも最初の植民が行われたのはようやく18世紀初頭のことだった。1793年の資料によると、ユダヤ人の比率は6%ほどで、1808年は13%だった。市の人口総数も並行して増加している。1798年のウッチの人口は369人、1808年は434人、1810年は514人だった。もっとも戦争と伝染病のために1815年には331人に減少している。ウッチ最初のシナゴーグは、1809年、旧市場角のDworska通り(現在のWolborska通り)沿いにできた。屋根板で覆われた木造の建物で、新たにウッチに設置されたLutomierska(ルトミェルスカ)郡に帰属するカハウによって建てられた。敷地は当時(プロイセン領)の市長Jozef Aufschlag(アウフシラグ)から165ズロチで購入された。

2.市の建設

1793年のウッチには約50の木造家屋があり、1810年にはそれが108になっていたことを改めて思い起こしておきたい。おそらくこれらの家屋はすべて平屋で、新たに建てられた家屋は十分にゆとりがあり、藁葺とはいえ既存の家屋に比して堅固な作りになっていたかもしれない。当時のウッチには目を見張るような建物はほとんどなく、数えるほどだった。一つは今も残る18世紀にできたカトリック教会(場所はOgrodowa通りに移設)。典型的な田舎の教会で、1820年には極度に悪い状態(教会の屋根はほとんど落ちてしまっていた)にあった。次は避難所つまり病院の建物。ピョートルコフスカ道路沿いにあり、18世紀から19世紀にかけて主任司祭J. Mejer(メイェル)とこれに続くCzerwinski(チェルヴィンスキ)によって建てられた。この建物は後に居酒屋に変わった。そして正に居酒屋。これはプロイセンの当局によって市場に建設された。いくつかの建物についてはその寸法に関する資料が今も残っている。避難所後の「主任司祭の」居酒屋は長さ約18メートル、奥行き約9.5メートル、「当局の」居酒屋は長さ22メートル、奥行き6.5メートルで、隣接の馬小屋はそれぞれ11.5メートル、6.5メートルであった。当時のウッチには舗装道路は一つもなかった。

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公国の君主制はザクセン王国との同君連合で、ポーランド王アウグスト3世サスの孫であるザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世が公国の王となった

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かつての時代の証人であった唯一の記念物、Ogrodowa通りにある現在の聖ヨセフ教会、20世紀初めにグールキ・プレバンスキェから移転された

3.地方行政府

ワルシャワ公国時代、さらに続く立憲王国時代に市当局体制に関し重要な変更がなされた。行政府には、非常に広範な権限を持つ当時の市長の他に、裁判員と市会評議員が任命された。ただし、後者の権限は勧告のみに留められた。1809年2月23日付の市行政府に関する政令に基づき、1810年11月ウッチに、それまで行政府を治めていたSzymon Szczawinski(シモン・シチャヴィンスキ) が市長に、名誉裁判員にS. Depczynski(デプチンスキ)とS. Gozdowski(ゴズドフスキ)が、また W. Drewnowicz(ドゥレヴノヴィチ)、M. Jezewicz(ヤジェヴィチ)、M. Kudlinski(クドゥリンスキ)、A. Lipinski(リピンスキ)、J. Pelzowski(ペゥゾフスキ)が市会評議員にそれぞれ任命された。ウッチ市にとり大きな意味を持つ1819年2月19日から1826年8月までの期間は、第四狙撃騎兵連隊の将校であったAntoni Czarkowski(チャルコフスキ) がウッチ市長の椅子についていた。

(訳者注記)
(オリジナル・テキスト)
“Ilustrowana Encyklopedia Historii Łodzi” nr3, Urząd Miasta Łodzi, Łódź 2009?
(参考)
野村真理著『ガリツィアのユダヤ人ーポーランド人とウクライナ人とのはざまでー』(人文書院刊、2008年)
H・ハウマン『東方ユダヤ人の歴史』(平田達治、荒島浩雅訳、鳥影社刊、1999年)
ブログ „Baedeker Lodzki” (「ウッチ案内」とでも訳すか?) ここ
特にここ

(了)

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