■新米日本語教師奮闘記(2017-03-27)

個人教授で日本語を教えている生徒さんが、ご夫婦で日本に観光旅行に出かけることになった。こういう機会にブログへの投稿に注力しないといつまでたっても投稿のペースが上がらないことは明白で、これまでにためていたテーマを少しづつ形にしていこうと思う。

にわか日本語教師を始めてまだ四ヶ月。授業が終わるとすぐほとんど自動的に、その日の授業の反省が頭のなかで始まるのだが、「こうしなければ良かった」という自己嫌悪的な反省がまず頭に浮んでくる。少し時間が経てば、この反省は次の授業ではこうしようというアイデアに変わっていくのであるが、大した失敗もなくよくできた授業だったと思えたことは殆どない。

こうした反省点で一番のものは、文法の素人講義をやってしまうことだ。もともと語学が好きで文法にも興味を持っていることが逆に災いしている。母国語を考察の対象に据えてからまだ半年も経っておらず、しかも本格的な教授法の学習をしたこともない自分が、学者もどきで講義をしてしまうのは、生徒さんたちには申し訳ない限りだが、一方でこれが自分に日本語教師をやらせている原動力になっていることも間違いないところだ。

中学、高校で勉強した英語を別にして、自分が本格的に学んだ最初の外国語はロシア語であったが、その際に何よりも引きつけられたのは「完了体・不完了体」という概念がロシア語にあることであった。その後ポーランド語に手を染めることになったわけだが、スラブ語に特有な共通部分を持つということばかりでなく、ロシア語で体の概念に触れていたことがポーランド語習得の上で大いに役に立ったと思っている。

話題を日本語の文法に戻す。ポーランド人に限らず、外国人に日本語文法を教える際に学校文法が使えないことは言うまでもないであろうが、外国人向け日本語教授用文法を使うにしても日本語特有の文法事項はやはり残る。その最たるものとしてまず敬語があげられるだろう。次に来るのは時制であろうか。日本語の時制では現在と未来とが渾然としていて、ポーランド人学習者にとって日本語の文法はわかりにくいと思わせる文法事項の一つではないかと思う。わずか四ヶ月の経験に過ぎないが、その難しさは筆者もすでに体験している。確かに違いは大きい。とは言え、違いばかりを強調するのはどうもスッキリしないことも確かだ。

ロシア語の体や日本語の「完結相・非完結相」という概念はアスペクトと呼ばれるようであるが、日本語のアスペクトとロシア語やポーランド語のそれとはかなり近いものがあるのではないかという気が最近してきている。これを文型でいうと、
1.完結相では、過去時制「~ました」、非過去時制「~ます」
2.非完結相では、過去時制「~していました」、非過去時制「~しています」
と一応整理してよいのではないだろうか。もちろん、整理しきれない例外はたくさん出てくると思うし、そこがまさに日本語らしいということになるのであろうが、日本語を教えることは学術研究ではないし、原則を示してあげることは重要だろうと思っている。

(了)

カテゴリー: ウッチ, 日本語教師 パーマリンク