■ ピョートルコフスカ通り72番地/グランド・ホテル

過去の投稿を見ると「ピョートルコフスカ通り」というシリーズでの投稿は今年の一月七日付が最後になっている。すでに三ヶ月前。この切り口での投稿は、実際に通りを散歩している時にテーマが浮かんでくることが多いので、散歩に適さないシーズン中はどうしても投稿のテーマが生まれにくい。大雑把に言って、当地では一年の三分の一強が冬期で(十一月中旬から年明けの三月末くらいまで)、個人差、好き嫌いの差はあるだろうが、少なくとも自分にとっては散歩には適さない時期である。この冬は、このブログを始めてから最初に経験した冬期ということになるが、自然の流れとして、この期間中のこのシリーズでの投稿はほとんどないという結果になった。それでも四月に入り春の到来を思わせる暖かい日が多くなってきたし、例年よりは少し早めだが、集合住宅の建物の周りの木々や草花も大分色づいてきている。自分の健康のためにも冬場以外はできるだけ外に出て散歩する必要があるが、今年もまたそうした季節がやってきたわけで、何とはなしに浮き浮きした気分になる。

ピョートルコフスカ通りにまつわる、散歩ができるシーズンになってからの最初の投稿のテーマはグランド・ホテル。同じような名前のホテルが世界各地にあるというのはごく普通のことであるが、当地ウッチ市にもグランド・ホテルがある。それもメインストリートのピョートルコフスカ通りに面して。ウッチ市のグランド・ホテルは歴史のある古いホテルである。筆者がポーランド・ウッチに移住してきた90年代半ばは、ウッチの名所といえばピョートルコフスカ通り、ピョートルコフスカ通りのホテルといえばグランド・ホテルと相場が決まっていた。特に、グランド・ホテルに隣接した喫茶店は筆者の貴重な「休憩所」であった。日本から来た筆者にとって様々な意味で息抜きの場所である喫茶店は今でも生活に必須の施設であるが、当時のポーランドにはこれが不足していて随分物足りない思いをしたものである。しかし、それも既に過去の話しとなった。2004年にポーランドが欧州連合に加盟した頃から、複数の外資系の高級ホテルがあちこちに建設され、ウッチのホテル事情も大きく変わってしまったからである。件の喫茶店も今は若者向けの喫茶店に変わってしまい、筆者にとってはノスタルジーの対象になってしまった。ウッチにも、若い人向けの喫茶店の専門店が沢山出来たが、筆者がよく使うのはやはり、古めかしい趣のHortexかピョートルコフスカ通りとNawrot通りとのほぼ角にある128番地のCukierniaである。

さて、ウッチのグランド・ホテルであるが、このシリーズでは必ずお世話になるBorowskiさんのサイト(ここ)によると、1865年に所有者がEdward Hentschel (Haentschel)に代わってからその後の元になる建物が出来上がったらしい。新しい所有者はこの建物を工場だけでなく住まい兼製品倉庫としても使っていた。当時の建物はその後の1875年の火災で焼けるが、工場主は建て替えをせずに工場を別の場所に移してしまう。跡地の所有者は娘婿のLudwik Meyerの手に移った。Meyerは義理の兄であるJuliusz Kunitzerと共同で工場を新設する。その後Meyerは単独の経営者となって工場を別の場所に移し、ピョートルコフスカ72番地の建物を住居として使うようになる。1888年、Meyerはこの建物を増築して「グランドホテル」と名付けられたゲストハウスとして使いはじめた。どうもこれが今もあるグランド・ホテルの元になったようである。ゲストハウスの経営者にはオーストリア人のPiotr Schwartzがついた。当時の部屋数は45、部屋代は最低1ルーブル、最高3.5ルーブルだったそうだが、当時の貨幣価値を調べていないのでどの程度のレベルのゲストハウスであったのか詳らかではない。所有者であるMeyerはその後も増築を続けたようで、1897年には部屋数は70に増えている。また一階の一部を使って自分の製品を置いていたようである。Meyerは1904年までこの建物の所有者であった。

一方、もう一つの基礎文献であるAnna Rynkowska著『ピョートルコフスカ通り』(179−180頁)にはこんな記述がある。以下は引用・翻訳である。

「ウッチには、ポルスキ(Polski)、ヴィクトリア(Victoria)、グランド(Grand)という3つの大きなホテルがあり、いずれもピョートルコフスカ通りに面していた。番地はそれぞれ3番、67番、72番であった。そのうち最も有力なホテルはグランドで、ピョートルコフスカ通りとクルトゥカ通り(訳注:現在のトラウグッタ通り、この通りにサヴォイ・ホテルがある)の角にあった。金持ち、特に外国の富裕層の人達がこれらのホテルに投宿した。1888年3月2日付の日刊紙「Dziennik Lodzki」は次のようなリストを掲げている。ホテル・ポルスキには、チェンストホーヴァのOpenhajm、ワルシャワのSobolewski、トルンのFiszer、コンスタンチノポールのImergutが、ホテル・ヴィクトリアには、ベルリンのKupper、ワルシャワのFechner、ワスクのDabrowski、ワルシャワのSzoberが、ホテル・グランドには、ブダペストのZimerman、モスクワのMengubi、ヘムニッツ(Chemnitz)のHahn、リガのLipschnitzなどがそれぞれ宿泊している。」

再びBorowskiさんのサイトに戻る。前述のMeyerは1904年に、バンク・ハンドローヴィを筆頭株主に据えた株主合同「グランド・ホテル」にホテルを売却する。価格は47万5千ルーブルだったそうである。さらに1911年、ホテルは、有力な大工場主や大商人達のコンソーシアムに買われた。コンソーシアムの筆頭はJuliusz Heinzelの息子であるLudwik Heinzelであった。そして、本格的なホテルの改修が行われる。1913年に完工した後のホテルは、四階建てのファーストクラスのホテルに変わっていた。部屋数も150に増え、レストラン、ウィーン風の喫茶店、屋外コンサート用の施設などもあった。メディア・インフラも整備され、一階には当時の著名な店々が顔を見せていたという。


ホテルの広告(Borowskiさんのサイト所収)

1904年といえば、日露戦争の年。翌1905年にはロシアでは1917年の社会主義革命につながるいわゆる第一次革命が起こる。またこの間、1914年から1918年にかけて欧州を主戦場にした大戦(いわゆる第一次世界大戦)が起こっている。本稿のテーマであるグランド・ホテルは、正にこうした時期にその本格的な礎が築かれていったようである。以前投稿したサヴォイ・ホテルの時代背景もその末期とは言えこの時期にかぶっている。歴史に興味を持つ「ウッチ市民」としてはサヴォイ・ホテルとグランド・ホテルとはどう共存していたのかということに関心を抱くが、それよりなにより、今年はロシアの社会主義革命から百年目。twitterでは百年目新聞なるアカウントもあるようだし、百年前の歴史に思いを馳せることが今年は特に必要なのかもしれない。


Hotel Grand近影

(参考)
1.ホテル公式サイト(http://www.grand.hotel.com.pl/grand_pl/Home)
2.Anna Rynkowska, “Ulica Piotrkowska”, Łódź 1970
3.Waldemal Borowski さんによるピョートルコフスカ通りの歴史に関するサイト(http://piotrkowska-nr.pl/)

(了)

カテゴリー: ウッチの歴史, ピョートルコフスカ通り, ポーランド・ウッチ, 日々つれづれ タグ: , , , , , パーマリンク

■ ピョートルコフスカ通り72番地/グランド・ホテル への1件のフィードバック

  1. n2windblog より:

    Anjin-san様

    はじめまして。
    いつもAnjin-sanの博識教養に感銘を受けながら拝読しているファンです。
    一昨年グランドホテルに投宿しました。ピョートルコフスカ通りに面した部屋で、床を踏むとギィーッと音がする古さでしたが、そこもまたいい味と思える大好きなホテルです。
    これからも投稿を楽しみにしています。

    尚美

    いいね

コメントは受け付けていません。