■ピョートルコフスカ通り138/140番地 − OFF Piotrkowska

語学学校での日本語夏季集中講座がようやく終了して、ちょっと一息。この一ヶ月間、ムッとするような真夏日も時にあった。そんな陽気のせいもあって、ピョートルコフスカ通りの散策というか、時間潰しも何度かしている。ピョートルコフスカ通りをめぐるこのシリーズでの新しい投稿(ここ)も七月十五日にアップロードしている。

改めて言及するのもおかしな話しなのであるが、本来このブログに投稿されるつれづれの記は私的なもので、ある特定された対象の「宣伝」ではない。とはいえ、内容の中心はその建物にまつわる歴史になるにしても、現在ある建物について触れないわけにはいかず、いきおい何らかの宣伝になってしまうことは避けられないことだ。先の投稿でも、この辺のバランス感覚についてはさらっと触れている。

さて、今日の投稿はピョートルコフスカ通り138/140番地にある「OFF Piotrkowska」と呼ばれるショッピング・エリアがテーマ。以前から記事にしたいと考えていたショッピング・エリアである。エリア全体の地図がホームページ(ここ)にあるので関心があればそちらを参照してもらいたい。ただし、後に言及するラーメン屋さんの「アート・ラーメン」が記載されていないなど、内容が更新されていないようなので最新版ではないことをお断りしておく(本投稿のアップ時点)。

正面入り口を右側から入ったところ
エリア右側を奥に見通した様子
エリアの左側の様子

前述のように、本投稿の趣旨は建物というか、エリア全体の歴史的解題をすることなのであるが、その前に現在あるエリアについて触れておこう。規模の比較は別にして、パッと見の概観で言うと、ウッチの新商業センターであるマヌファクトゥーラとは違い、建物の外壁などはあまりリノベートされていないことがまず目に付く。基本的には好みの問題で、いずれかに優劣をつける必要はないのであるが、歴史マニアの中にはこちらの方が良いという人もいるかもしれない。

「OFF Piotrkowska」の公式サイト(ここ)にこのエリアの歴史解題が載っている。他の例にもれずここにも紡績工場があった。工場主は、F. Ramisch。

公式サイトにある工場の絵

同サイトによれば、他の場所(おそらく144番地)で1879年から従業員8名で手織りのハンカチ製造業を営んでいたF. Ramischは、1889年にこの地に移ってくる。すでに従業員数は70名になっており、蒸気機関のもの1台を含む65台の織機を保有していた。工場のオリジナルの設計者はH. Majewski。その後1893年にF. Miksの設計で増築が行われ、さらにその後F. Chelminskiの設計でアール・ヌーヴォー風の装飾が施されている。工場の敷地は、ピョートルコフスカ通りと当時のミコワイ通り(現在のSienkiewicz通り)とに跨る三区画分に亘っていた。工場はその後も拡張を続け、1897年には従業員数227人、1905年には452人にまで達した。

第一次世界大戦で織機の多くが損傷して使えなくなるが、1924年に「„Franciszek Ramisch” 紡織工場株式会社」として復活し、1935年には従業員数も500人を数えた。また、1929年にはポーランド紡織業生産者組合の事務所がこの敷地内に設置され、G. Geyer、S. Osser、A. Kindermann、P. Biedermann、A. Piwkowski、L. Albrechtといった当時の著名な生産者が同組合に名を連ねていたという。

第二次世界大戦後から1999年までの社会主義政権時代は国有企業として存続を続ける。体制転換後同エリアは複数の所有者の手に移り、現在の姿にリノベートするプロジェクトが立ち上がったのはようやく2011年末のことであった。入り口から入って右奥は今もリノベート中で、これからまた変貌する可能性を秘めたショッピング・エリアということなのだろう。

次の二つの写真を比較すると分るのであるが、最初の写真では138番地と140番地に木造の家屋が建っているのに対し、次の写真には2軒の木造家屋の代わりに塀が建っている。Borowskiさんのサイト(ここ)によると、木造家屋は第一次世界大戦後に取り壊されて、その跡地に塀が建てられたそうだ。


第一次世界大戦以前の様子、Anna Rynkowska “Ulica Piotrkowska” 所収のイラスト集から


Borowskiさんのサイトで紹介されているウッチ県立図書館資料集所収の写真から、撮影された時期は株式会社設立後と思われる

今回のように、ピョートルコフスカ通りシリーズで建物の歴史的解題をしていくと、19世紀後半から20世紀前半にかけての立憲王国時代のウッチ、東欧又はポーランドのマンチェスターと呼ばれたウッチの歴史にいやでも行き当る。そもそも当ブログの主な柱はその歴史を日本語で紹介することに置いていて、その線上でイラスト百科の本格的な翻訳も行っているのであるが、残念ながら前々史の段階である第三巻すら完結できていない。その歩みは文字通り「亀の歩み」であるが、その一方で、このシリーズを間に入れることでウッチの「東欧又はポーランドのマンチェスター」時代を垣間見ることができるので楽しい。

さて最後に、比較的最近本題のショッピング・エリア内にオープンした話題のラーメン屋さん「アート・ラーメン」について触れておこう。

以前当ブログで、日本人による本格的な日本食レストラン「くろねこ」の紹介をしているが、実はポーランド人によるレストランや軽食バーは当地ウッチでも相当数できている。この「アート・ラーメン」はラーメン専門店といった感じの軽食バー。注文できるビールも某日本メーカーの銘柄に特化し、店員も同銘柄を強調したTシャツをまとっている。但し、店員にさらっと聞いた限りでは資本関係などはないらしい。毎週月曜日を定休にして麺や具材の仕込みをする日に充てているようである。細長い店のつくりで、奥にあるカウンターと入口側の窓に面したカウンターの他に、10名ほど座れるテーブルがある。店のイメージは日本などのラーメン屋さんにかなり近い。

味について言うと、一言で言えばポーランド人向けの味というに尽きるだろう。かなり濃い目の味になっている。特に塩ラーメンは日本のイメージとはかなり違う。ただ、「アート」という店の名前から想像されるように、店員は別にして少なくともオーナーはこの点を明確に意識して店作りをしているように思える。以下は筆者が試食した味噌ラーメンと塩ラーメンの写真。


醤油ラーメン、「とりネギラーメン」といった趣のラーメン


塩ラーメン、海鮮ラーメンといった趣のラーメン

上の2銘柄を試食してみて思ったことは、寿司と同じように一度日本を出たら「伝統的なもの」が変容していくことは避けられないということ。寿司とSushiは同じではない。伝統的な寿司や日本蕎麦が食べたければ日本に行けば良いのだし、海外であれば日本人客だけで店の運営が成り立つようなエリアに出向いて行けばよい。どうしても食べたいと思えば自分で作るという手ももちろんある。但し、筆者はそこまでの思い入れはないので、日本に一時帰国した際の楽しみとして取って置く方を選んでいる。

伝統に拘ることと、他に自分の伝統を押しつけることとは同義の行為ではないだろう。同じように、歴史に思いを馳せるということと、現在を否定して過去に回帰するということとは同義の行為ではない。自戒を込めて言えば、歴史好きは特にこのことを常に念頭に置いておく必要があるように思う。

(了)

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