■日々つれづれ(2017-08-24)ー Villa Japonicaのことなど

八月も半ば。筆者が住んでいるウッチ市でも雷を伴う集中豪雨で被害が出るなど、天候は相変わらず不順だが、概して周りはサマー・バケーションの真っ只中。筆者も数年ぶりに遠出をして山歩きを満喫してきた。ウッチ市は地理的には現在のポーランドのほぼ中心にある。よって、東西南北どちらに向かうにしてもいわゆる「遠出」になるのであるが、今回出向いたのはチェコとの国境に近いヴィスワ市で、車で片道5時間ほどの小旅行となった。

筆者が住んでいるブロックの隣人から、かつてウッチ大学で勉強した同窓生で、その後日本と関わりを持つようになったご夫婦が同市でペンション(ここ)を経営しているということを聞き込み、訪問することにしたものである。場所はウッチ市からはるか離れたヴィスワ市だが、経営者がウッチゆかりのご夫婦ということで、当ブログの夏季休暇編もしくはつれづれ番外編ということで少しつづってみたい。

ペンションの現在の姿は上の写真の通りだが、オリジナルの建物は1936年に建てられたそうである。当時は、かつて中欧の雄であったポーランドが、一世紀半に及ぶ分割・主権喪失時代を脱し、第二次世界大戦に伴う再分割までの、短い春を経験した第二共和国の末期に当たっていた。第二次世界大戦勃発後、建物は侵入してきたドイツ軍の手に落ちる。その後ソ連による支配を経て社会主義ポーランドの管理下に置かれ、体制転換後はビール会社の別荘であったそうだ。所有が当該ご夫婦の手に移るのは今から17年前のことだそうである。

ここまではポーランド全体にほぼ共通する話しであるが、実はこの地域には特殊な歴史的事情がある。

ヴィスワ市は現在の行政区分でいうとシロンスク県チェシン郡(powiat)に属す下位自治体の都市(miasto)で、チェコ共和国(フリーデク=ミーステク郡)と国境を接している。また、市の名称からも想像がつくように、ポーランド最大の河川であるヴィスワ川は同市の後背地であるベスキディ山脈にその源流がある。

第一次世界大戦終結とロシア社会主義革命の勃発という二つの大きな歴史的事件の結果として、ポーランドは主権国家として再出発を果たし、神聖ローマ帝国時代に民族的覚醒はあったもののその後もハプスブルグのオーストリア帝国、後のオーストリア=ハンガリー帝国の中で少数民族の地位に甘んじてきたチェコは、ハンガリーの影響下にあったスロバキアと合同したチェコスロバキアとなって新しい民族国家として出発する。

ほとんど当然のように、国境を接した二つの民族国家は、それまでチェシン公国(*1)として存在していた地域の帰属をめぐって国境紛争を起こす(*2)。チェシン公国は元々ポーランドのピャスト朝系の公国であったが、14世紀にプラハのカレル橋で有名なボヘミア王カール1世(神聖ローマ帝国カール4世)の父の時代にルクセンブルグ朝に帰属している。当時のチェコスロバキア側の主張の根拠はこのあたりにあったのかもしれない。ただし、旧チェシン公国ではポーランド語話者が過半数を占めていたという資料もあるので、ポーランド側にも自国領を主張する根拠はあったようである。

(*1)ウィキペディアに記述されている「チェシン公国」
日本語Wiki:(ここ)
ポーランド語Wiki:(ここ)
チェコ語Wiki:(ここ)

(*2)ウィキペディアに記述されている「ポーランド・チェコスロバキア戦争/七日間戦争」
ポーランド語Wiki:(ここ)
チェコ語Wiki:(ここ)

チェコ語版Wiki「七日間戦争」で外部資料として引用されている民族分布図

ただし、上述は後追いの知識であって、実際に今回山歩きをしていた時にはポーランドとチェコとの間の現在の国境線上を歩いているという単純な意識だけであった。Glebce、Labajow、Os.Mrozkowといったエリアを中心に歩き、歩き上った地点は、Stozek Wielki(978m)とKiczory(989m)の2地点。この2点間の道程にはところどころ石柱があって、石柱の左右にP(ポーランド?)とC(チェコ?)の文字が記されていたのが強く印象に残っている。

今回の山歩きでのもう一つの収穫は、ペンションのオーナーであるバプスキ夫妻といろいろな話題で歓談できたことだ。当然ご夫妻の体験談が主な話題になったが、ある時にVilla Akiko(ここ)の三和さんのことが話題に上った。バプスキ夫妻曰く、「自分達のペンションは、日本に愛着を抱くポーランド人を主な対象にしているが、三和さんは逆にポーランドに愛着を抱く日本人を主な対象にペンションを経営している」という。実際に三和さんがどう考えていらっしゃるかはもちろん分からないが、そうかもしれないと思った。次いで、日本ファンのポーランド人とポーランド・ファンの日本人とどちらの方が多いかというテーマになったが、バプスキ夫妻は前者の方が多いと考えているようであった。

その連想で、では自分がやっていることはなんなんだろうかと考えている。三和さんやバプスキ夫妻はポーランドとか日本とかといったスケールで活動されている。自分は、日本ではあまり知られていないポーランドの、更にまた知られていない地方都市のウッチを日本人に紹介するというテーマでブログを展開している。ささやかな営みには違いない。ただ、歴史という切り口で少しだけ踏み込んで紹介している点は強調してもいいのかもしれない。現首都ワルシャワや古都クラクフのように華やかなエピソードに彩られた都市の歴史とは異なり、地味な故に地方都市の歴史からポーランド全体の歴史へと展望を開きやすいというメリットがあるからだ。

(了)

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