■日々つれづれ(2017-09-23)ー在外日本人の帰属意識と自炊本のこと

自分が生まれ、そして母の言葉である日本語を身に着けた日本という国から、はるか遠い外地で長期間異邦人として生活していると、「日本人であること」についてよく考える。

国境で囲まれた領土内に居ることがその条件の一つになる国民国家における国民という観点で考えると、外交的なステータスは保証されているにしても、確かに在外「日本国民」という立場は微妙な位置にある。これだけ人的移動が簡単に行われるようになり、実際に外地に住む日本人が増大している時代でも、国民国家が規定する領土内に居なければその「国の民」ではないと極端なことを言う人がいても不思議ではないし、外交的、法的には日本国民かもしれないが、純粋な「日本人」ではないという人もいるかもしれない。しかし、筆者の帰属意識はやはり「日本」にあるし、筆者は「日本人」であると考えている。理由は、自分が生まれ、言葉を身に着けた場所は日本であり、このことはどうしても否定できない自分に固有のものであるからだ。

一方で、筆者は国民国家としてのポーランドの国民ではない。ポーランドではあくまでも異邦人、エトランジェである。それでも居住期間が四半世紀に及ぶ現在の筆者には「ポーランド」にも何某かの帰属意識はある。その主な理由は、日常的に家庭内でポーランド語を使っていることであろう。アンチも含めて欧州文明の根がキリスト教にあることは言を待たない事実であるが、その欧州の一国であるポーランドということで考えれば、宗教も筆者のポーランドに対する帰属意識に影響を及ぼしているかもしれない。

帰属意識を抱く国が二つもしくは複数の国にまたがる日本人は今でもやはり少数派である。その観点で言えば筆者は、少なくとも相対的に、純粋な日本人ではなくなっていると言えるかもしれない。まあ、純粋な日本人かそうでないかの基準は相対的で後天的に得られる「帰属意識」にあるようであるし、自分が生まれた国は日本であり、身に着けた母の国の言葉は日本語であったという事実を超えるものではないとすれば、純粋かどうかということはさほど気にする必要はないのかもしれないが。。。。

外地に住んでいるということで実生活で不便を感じることは多々あるが、日本語書籍の入手ということもその一つである、というより一つであった。遅ればせながら筆者もいわゆる「自炊本」のおかげで、日本語書籍の入手という点でハードルがぐっと下がったからである。筆者がポーランドに移住してきたのは1990年台の前半、旧東欧諸国の体制転換がなされて直ぐの頃であるが、当時はインターネットといってもeメールという商業通信革命の側面が主体で(それまで国際通信の手段といえば、さん孔テープを使ったテレックスが主流)、「ネット」イコールWEBではまだなかった。今でこそ日本食材や日本語の書籍はネット経由で購入することが当たり前になっているが、当時は日本にいる親しい知り合いに頼んで日本で買ってもらい、それをさらにポーランドまで送ってもらう必要があった。トラブルもあったし、そもそもこの作業を始めるまで長いこと逡巡したものである。今は当地ポーランドでも、食材や書籍の購入に限らずちょっとした作業もネットなしでは思うようにはかどらないというところまで来ている。

ネットで観察している限りで言うと、日本では「自炊」という言葉はカッコ付きで表記する必要がないくらい定着しているようである。しかし、自分が住んでいるポーランド・ウッチで見ている限り、紙の書籍を自分で解体してスキャンし、得られた電子本をキンドルなどで読んでいるという話しはほとんど聞かない。当地でもLinux系OSの愛用者などは目新しい事物に飛びつきがちなのであるが、紙の本を自分で電子化して読んでいるという話しはあまり聞かない。統計で確認しているわけではないので一個人の印象に過ぎないが、少なくともウィキペディアでも「自炊」という項目のポーランド語版は作成されていないようだし、当たらずとも遠からじというところであろう。そういう環境にいる筆者もようやく最近自炊本の恩恵に預かれるようになった。ほぼ30年ぶりにネット経由でコンタクトを復活させることができた古き良き青年時代の、心からの友人のおかげである。

これまでも、電子本というくくりで言えばちょっとした経験は既にあり、紙の書籍に拘泥していたわけではなかった。特に、いわゆる推理ものと云うかミステリーものは以前からテキスト・ベースの書籍をパソコンなどで読んでいたし、電子書籍の汎用リーダーを入手してからはもっぱら汎用リーダーで読んでいる。それでも、電子化されにくい専門書や、自分が関心を抱いている分野の学術書の大半は紙媒体でしか読めない。こうした書籍は概して高額で、本体に加えて日本からポーランドまでの送料を加えるとかなりの金額になるので、これまで気軽に購入するという気になかなかならなかった。それが、「送料がかからない」(日本でわざわざ自炊してくれる友人にかかるコストをあえて度外視すればであるが)という新事態が生まれた。この新事態は、少なくとも購入に踏み切るまでの心理的なハードルを低くしてくれる。すでに、筆者が以前から読みたいと思っていた数冊の書籍を購入し、前述の友人に「自炊」してもらっている。友人の好意に甘えることを前提にした話しなので、毎回使えるわけではないが、時々お願いできるようになっただけでも文字通り世界が変わったという気がしている。

懸案になっていた歴史関連の日本語書籍を集中的に読んだこの機会に、当ブログの固定ページに置いている「参考資料」(ここ)に「2.旧ソ連・東欧全般に亘る日本語の歴史関連書籍」という項を追記し、日本語の参考書籍を手元にあるものを中心に整理してみた。言うまでもなく、現在自分が関心を持っているテーマでこれまでどんな本を読んできたのかを整理する為に作成した、自分のための覚書的なリストである。文字通りの歴史書だけでなく、ドストエフスキー全集や東欧文学選集、叢書エトランジェの文学といった、筆者に影響を与えた文学書もあえて挙げてある。特に、20代の「文学青年」時代にエトランジェの文学という叢書を手に入れて読んでいたことは、その後の筆者の人生を考えると感慨深いものがある。もちろん当時は、自分も将来外地で「エトランジェ」になるとは想像もしていなかった。

(了)

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