■日々つれづれ(2018-03-01)ーウトゥカ川のことなど

当地ウッチの人達に日本語を教えること、一方でウッチの歴史を日本語で紹介することの二つを自分の「仕事」と決めて日々を送っているが、今年はそのバランスを取ることを年始に目標として掲げた。昨年は、日本語を教えるという仕事に自分が何処まで対応できるか分からないまま見切り発車でいろいろな方面に手を伸ばし過ぎ、こちらの活動に偏り過ぎたからである。まだ十分に整理がついたわけではないが、ここにきて少しバランスを取り戻してきた。その分、ニつ目の活動であるウッチの歴史の翻訳紹介に時間が割けるようになり、第五章「旧市街の制定」の仮訳をようやく終えることができた。現在仮訳が済んでいる分のテキストはメニューの「ウッチ歴史百科第3巻私訳版(未完)」から参照出来る。

目次だけで振り返ると、「第一章 ポーランド第一共和国末期のウッチ周辺、第二章 プロイセン領時代のウッチ、第三章 ワルシャワ公国時代のウッチ、第四章 ダイナミックな発展の端緒、第五章 旧市街の制定」までの仮訳が終わったことになる。残っているのは、「第六章 ダイナミックな発展、第七章 新市街の建設、第八章 最初の産業ブーム 1823-1824、第九章 新たな産業植民、第十章 三番目の市庁舎、第十一章 ピョートルコフスカ通りの誕生、付録 「ピョートルコフスカの乙女」伝説」である。このブログでも、「ピョートルコフスカ通り」を切り口にした投稿を時々アップしているが、歴史(の翻訳)に関してはその「誕生」にも至っていない。この第三巻の翻訳が曲がりなりにも目処がついたら、Rynkowskaさんの『ピョートルコフスカ通り』の紹介もおいおいしていきたいと思っているがまだまだ道半ば。

それでも、今回アップしたウッチ歴史百科第3巻の第五章にはこんな記述があり、多少は目標に近づいているのかなと思い少しホッとしている。「ポーランド立憲王国時代における産業の発展は、政府当局の助成と通商の規模拡大によるところが大きかったが、特に通商の発展は道路網の拡張と工場集落の都市計画刷新をもたらした。。。。近隣都市間をつなぐ、可能な限り直線の舗装道路を建設するという事業が開始された。そうした新たな投資事業の一つに、ウェンチッツァとピョートルクフを結ぶ街道の建設があった。ウッチでの建設は1818年に着手され1821年に終了したが、当該街道とウッチ地域とが結ばれた地点は、技術的観点で設置されたいわゆるピョートルクフ湾曲街道の2箇所だけであった。一つはウトゥカ川流域のグロブラの水車があった所に掛けられた橋、もう一つはヤーシェン川流域でヴゥカ村の集落の外れにあったカルチマに隣接した所に掛けられた橋であった。この2地点が後述するように現在のピョートルコフスカ通りの成立に繋がっていく。」

ウッチの普通名詞としての意味は、白水社刊「ポーランド語辞典」によると「ボート、小船」である。一方、川の名前になっている、そしておそらく集落の名前にもなっているウトゥカはその指小形だが、先の白水社刊「ポーランド語辞典」によると意味は「ボート、小舟」となっている。辞書編纂者の隠れた思いが推察される訳語であるが、日本語ではほとんど同意義ということである。ひとまず、ウッチという市名の文字通りの意味は「小ふね」としておいて間違いはなさそうである。ただし、市名の由来となるとウッチ=小舟と単純に規定はできないようだ。ウッチ郷土史の基本文献の一つである『ウッチ ー 市史 第一巻』を繙くと市名の由来についての記述がある(57-60ページ)。要旨をつかむだけの目的で辞書を引かずにさっらと斜め読みしただけであるが、様々なテーゼはあるものの歴史的にこうという結論は出せないと記述されている。まあ、無理のないところでまとめると、当時は中小の河川がたくさん市中を流れていたようであるし、少なくとも河川に関連した名称として定着していったと考えてよいのではないかと思う。

(参考)かつてウッチに存在した、または現在も一部を目にすることが出来る河川の地図は以下のサイト”Dawne rzeki Lodzi” (ここ)に詳しい。リンクがうまく開かない場合もあると思うので、ダウンロードした地図を以下提示しておく。

ウッチを流れていた多くの河川は「かつての」もしくは部分的に残っている河川になってしまっている。こうした河川の跡を順に辿っていくというテーマは非常に興味をそそられるが、ひとまずこれからの投稿用に残しておくとして、前述の「ウトゥカ川流域のグロブラの水車があった」場所のあたりを少し探索してきたので、最後に紹介しておく。現在の教会広場から北向きにあるバウタ市場まではズギェルスカ通りの一部になっているが、逆に南向きにある旧市場を経て現在の自由広場まではノヴォミェイスカ(新市)通りとなっている。このノヴォミェイスカ通りを挟むようにして立地されているのがスタロミェイスキ(旧市)公園である。その西側部分の更に西端はザホードニャ(西)通りに面していて、通りを渡るとショッピング・センターのマヌファクトゥーラがある。さて、ウトゥカ川であるが、前述のサイトの地図で見るとちょうどマヌファクトゥーラがあるあたりを流れていたようである。そして、スタロミェイスキ(旧市)公園を通って今の救出記念公園(ウッチ・ゲットーからの「救出」の意)の方に流れていっている。ただし、マヌファクトゥーラからスタロミェイスキ公園のあたりでは川の流れは地下に入ってしまっている。写真で雰囲気がつかめるかどうか分からないが、いくつかスナップを撮ってきたので参照頂きたい。


(写真1)スタロミェイスキ公園の中に立っている表示版


(写真2)同公園内から臨んだザホードニャ通りとその先のショッピング・センターのマヌファクトゥーラ


(写真3)同公園内の様子


(写真4)地下を流れるウトゥカ川の流れ、実際に地下を流れている!


(写真5)その場所を示す案内板

(了)

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