■日々つれづれ(2018-08-22)ーウッチの川について

本投稿は3月以降サブテーマにしてきた「ウッチの川」に関するまとめ編。メインのテーマである歴史百科第3巻の翻訳(既訳分はここ)の第五章に、ウッチの名所であるピョートルコフスカ通りのいわば誕生物語とでも言える記述があり、これを自分でも辿ってみようと思ったのが発端のサブテーマである。投稿と言っても公開論文の翻訳であるが、「ウッチの川」の歴史を概観する上で大いに参考になるので、抄訳ながら紹介する。

参考記事1:■日々つれづれ(2018-03-01)ーウトゥカ川のことなど(ここ)
参考記事2:■日々つれづれ(2018-08-09)ー川のことなど(ここ)

当該論文は次のような構成になっている。

1.導入
2.参考文献とその利用に当たっての価値評価(付:総合地図)
3.現行ウッチ市域に14世紀から20世紀半ば迄に存在した水車
4.結語と注記

論文の主要部分は「3.現行ウッチ市域に14世紀から20世紀半ば迄に存在した水車」で、具体的な水車の由来などが記述されている。本投稿では、論文の主要部分の訳は別の機会に譲り、「1.導入」と、「4.結語」の最初の部分を翻訳して紹介する。また、2.に付された地図は、往時の状況をざっと掴む上で参考になるので併せ付しておく。

。。。

「歴史地図に基づくウッチ市域内に存在した水車の配置に関する研究」

1.導入

地域社会への意識が高まり、私達が住む近郊地域の地理的な環境の変化や歴史への関心が増大している。その結果として、既に歴史、文化、社会の変化に関する様々な啓蒙的な記事や学術的な論文が発表されている。ここ数年ウッチ大学水文学・水管理実験室によって行われているウッチ地方の水車の位置に関する研究もこの流れに位置づけられるであろう。その主要な目的は、ウッチが産業地帯として発展することに寄与した河川が、原初に有していたエネルギー・ポテンシャルの特定である。

産業化する以前の現在のウッチ市域には流れの早い小川がたくさんあり、そのために水力を利用した様々な設備が作られていた。そうした設備は、穀物の粉挽きはもとより、製材、縮絨(毛織物の仕上げ工程の一つ)、皮革なめし、そして樹皮粉砕等に利用された。産業化の初期には、水車の車輪を使い水を汲み上げる水力は、概して織物の圧延、糊付け、機織りの設備に必要な動力として使われていた。

現行ウッチ市域に最初の水車が現れたのは14世紀半ばと記録されている。そして、ヴウォツワヴェク司教区内の水車網が拡充されていくのに伴い、その数は18世紀から19世紀に移る頃迄に段階的に増えていった。こうした水車にはお手本があった。それは、1145年にウェンチッツァのBzura川沿いに作られ、このタイプの構造物ではポーランド最古のものとされている水車で、みなこれに似せて作られた。16世紀に提出された申請書によれば、それは3輪の水車であったようである。その後の数年におけるウッチ市域の水車の実数は変動した。修理が必要になったり、また火事で焼失したり、水害で壊れたり水に流されたりした水車があったためである。

それまでは農村の小都市であったウッチの歴史における転換点は、マゾフシェ県委員会議長(現在の県知事に相当)のライムンド・レンビェリンスキが視察を実施した1820年である。レンビェリンスキは、繊維産業に最適な場所を探していた。ウッチが選ばれたのは、立地条件がよい(立憲王国の境界に近い)、森林が豊富で粘土層に位置する(良好な建設資材がある)、そして機織り装置の動力源に適した流れの早い小川が多数あることがその理由であった。後に、正にそうした小川沿いに、シュライバー、グロフマン、ゲーエルといった人々の巨大な紡織工場が作られていき、一方それらの流域では都市が急速に発展していくのである。その当時あったウッチの川は、流路が幾度となく変更され、また技術的な必要に応じ堤防や遊水池が作られていった。

産業の発展に伴い、大半の水車は本来の機能を失っていった。農作物の加工という機能は、機織り機の動力としての機能に席を譲った。ただしこれも、短期間で様変わりしていく。1829年、マゾフシェ県のウッチで紡織業に携わる大規模事業者は例外なく水力を利用した部分的機械化に移行していた。例を挙げれば、コピーシュの工場では2輪の水力駆動機械が稼働し、ランゲ、ヴェンディシュ、ルンドゼーエル、ポテンパといった人々の工場でも、単輪の水力駆動機械が稼働していた。

蒸気機関が使われるようになると、エネルギー源としての水力の利用は衰退していき、相対的に利用価値が低下した河川は遊水池に姿を変えていった。こうして、かつての水車とこれに伴う水力は、大規模産業の端緒となったのである。現在、こうした水力設備の殆どはその痕跡を留めていない。とはいえ、古地図や古文書の上では今も存在し続けている。この小論は、現在のウッチ市域内において、水力を利用した設備の配置と、それらが機能していた期間を総合的に特定することを試みたものである。そうした設備は相当数に上っており、かつて存在した河川が大きなエネルギー的ポテンシャルを持っていたことを示している。小論はまた、この地域で水がどう扱われていたかを明らかにする契機ともなり得るであろう。

(「2.」及び「3.」は省略)

4.結語

現行のウッチ市域を流れる川には、時期は様々であるが、水車が少なくとも26台存在していた。そうした水車の脇を流れていた川のうち水力としての利用価値が最も高かったのは、ヤーシェン川であった。支流も含めると11台の水車が水力を提供していた。高低差が著しく、流域は土手を形成するのに容易な谷間になっていたことがその理由であったことは疑いをいれない。一方、当時はシュラフタ(ポーランド貴族)の所有地で産業ウッチの発展に直接は関与しなかったソコウフカ川については、殆ど資料がなく詳細は不明である。3番目の川はウトゥカ川で、そこに掛かる水車は現行ウッチ市域内にあった。ただ、その流域は徹底的に改造されたため、現在当時の姿形を目にすることはない。(以下略)

Pic-1

凡例
A:水車があった地点
B:現行のウッチ市を示す境界線
C:一級分水界(訳注:詳細はウィキペディアなどを参照)
D:産業化以前の河川系(推定)
E:現行の道路網

オリジナル:
1. 論文名:„Rozmieszczenie młynów wodnych na obszarze Łodzi w świetle wykorzystanych historycznych źródeł kartograficznych”
2.著者:
(1)Adam Bartnik, Pracownia Hydrologii i Gospodarki Wodnej Uniwersytetu Łódzkiego
(2)Dorota Bartnik, Biblioteka Uniwersytetu Łódzkiego
3.ソース:http://hydro.geo.uni.lodz.pl/uploads/file/pub_AB/2017_mlyny_Lodzi.pdf

(了)

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