■私の読書ノート(1)

今回の投稿は、「私のドストエフスキー」という大きなタイトルで綴った三回の投稿についての反省(■「子どもたちへ」(7月21日))を踏まえた第一回目の投稿。三回の投稿については、その後タイトルに「スケッチ」という言葉を付して表現を少しソフトにし、加えて続編があるという意味で、末尾を「続」と変更した。とはいえ、続編となる今回の投稿が、オリジナルのタイトルを引きずっていては実態が変わらない(世界的大作家をテーマにした「作家論」と取られてしまう恐れもあながち無いとは言えない)ので、掲題のようなタイトルにした。

二年近く続いたブランクの後で、コンセプトを新たに新装版として再開したささやかな私的なブログ。オリジナル版では、ウッチを日本語で紹介するというのが主な目的であったが、新装版では、現在地ウッチという地点から、自分の人生、特に移住後の後半生を回想することに主眼を置くことに変更した。オリジナル版では、観光案内的な投稿も随分アップして、その中には捨て難い投稿もあったが(特に「ピョートルコフスカ通り」シリーズ)、思い切って削除した。不特定多数の方に読んで頂くのがこのブログの目的ではないと気付いたことが一応の理由であるが、何よりこの半年で「世界」が大きく変わってしまい、自分に残された時間ということを真剣に考えたことが大きく影響している。

新装版にしてから、前述の三回のシリーズの他にも、複数の投稿をアップしているが、その過程で一つ気付いたことがある。生まれてから移住前までの時期を前半生として区切っているのだが、後半生を書き継ぐ時にその時期だけ切り取って叙述するということはできない、必ず前半生で経験したことが絡んでくるということである。ちょっと考えれば分かることなのであるが、いくつか小文をアップしてみてやっとそのことに気付いた。自分のように形式にこだわる者が陥りやすい弊ということなのだろう。

さてさて、悪癖の長ったらしい前置きはこの辺にしておこう。書き出しだが、小説を書く訳でもなし、この小文のような回想記まがいであれば、あれこれ悩む事もないと思うので、まず小学校時代に遡って回想してみる。

小学生の頃は、毎年のように「転校生」になっていたので、すぐには仲の良い友達もできず、勢い図書室で一人で本を読む時間が多かった。年少児向けの翻案ながら、ホームズ、ルパンのシリーズものを読んだ記憶がある。その後、日本と世界の偉人シリーズを読んだようだが、自分の好みの「偏向?」に気付いた先生に言われてだったのか、自発的にだったのか、もうよく分からない。

その次に記憶に残っているのは、工業高校時代の読書経験。この時も中心は、いわゆる洋ものの推理小説だった。アガサ・クリスティーやエラリー・クイーンの作品を中心に、本格推理小説と呼ばれる小説を文庫本で読み漁った。ただし、1970年前後のことであるから、その時点で文庫化されていた作品である。日本の小説でそのころ読んだ記憶があるのは、夏目漱石の『坊っちゃん』と『三四郎』、それに石川啄木の『一握の砂』くらいだったか。

高校生時代、特に国語や古典の授業が好きだったわけではなかった。そもそも、どの高校に進むかを決めた際も父親の意向が強かったし、自分は中学では高校受験のための勉強をしていたに過ぎなかった。将来どんな職業に就きたいというような明確なイメージは恐らくなかったし、そうして進んだ工業高校でも当然のように授業にも熱が入らなかった。ただ、今振り返って一つだけそうかなと思うのは、周りの大半がサンデー、マガジンといった週間漫画雑誌に夢中になっていたのに対し、自分は活字の本の方に関心が強かったということである。ここまでが、いわば自分の読書体験の前史である。

自分の大学生時代は長い。1970年代をほぼ通して学生生活を送った。自分自身は一貫して政治的にはいわゆるノンポリであったが、1970年の安保条約改定に係る一連の政治的な動きが、自分の周辺を飛び交っていた。いわゆる学生運動が高校にまで飛び火してきていた時代であった。そして、1970年には三島由紀夫による割腹自殺事件が起こる。しかし、自分にはどちらの動きもただ縁遠いという感覚しかなかった。そうした時代背景の中で自分は、高校卒業後直ぐに仕事につくのではなく、大学進学を考えていた。ただ「なんとなく」である。

工業高校からの推薦で、逗子の近くの工科系の大学に入学した。この大学はいわゆる学生運動の拠点校の一つで、キャンパスには70年安保闘争の余波が色濃く残っていた。バリケードが張られていて構内に入れないこともしばしばあった。機動隊の姿もよく見かけた。理由はそれだけではなかったが、結局この最初の大学は半年しか続かず、受験浪人になった。この辺りから本格的な読書遍歴が始まる。

ここで、『罪と罰』が登場する。読書体験前史を振り返れば直ぐに分かるが、推理小説ないし犯罪小説として読んだであろうことは想像に難くない。この頃はまだドストエフスキーをそれほど意識していたわけではなかった。むしろ、その後の人生にまで影響が残るのは、カミュの『シーシュポスの神話』だった。この時にサルトルを先に読んでいたら、違った人生になったかもしれないと思うこともあるが、今は、カミュが、少なくとも当時の、自分の考えや思いに適っていたということなのだと考えている。

この頃の読書ということで忘れてならないのは、参考書とは言え、共産主義とは何かを知ろうとしていくつかの本を読んでいたことである。中でも想い出深いのは、猪木正道さんの『共産主義の系譜』。ただし、共産主義の原典に進むほどではなく、主な著作の書名と概要を理解した程度で、共産主義思想そのものに沈潜することはなかった。

日本の文学では、当時どこの書店にもあった、大江健三郎と安部公房の作品を読んでいたくらいで、その頃もまだ関心は薄かった。転機が来るのは、アルバイト先として書店を選んでからである。アルバイトでも、店員は書籍を二割引きで買えることになり、バイト代のかなりの部分を本に費やすという生活が始まった。とりわけ、最初の書店での生活については、読書以外にも様々な思い出があるが、ここは読書遍歴に集中しよう。

前述の書店でアルバイトを始めた頃から、今も交流がある当時の仲間の影響で、文芸雑誌を読むようになった。『文學界』『群像』『文芸』といった雑誌である。単行本の形で刊行される前にいち早く新しい作品を読む、というか目を通す、ということに興味を持ち始めたのである。今から振り返れば、青年時代の淡い思い出の一齣である。ただし、どんな作品を読んだのか、今はもう殆ど覚えていない。

特筆して置かなければいけないのは、以前にも書いたように、この時に河出書房新社版の米川正夫個人訳『ドストエフスキー全集』を買い揃えたことである。ちょうどその頃出始めた、新潮社版の『カミュ全集』も揃え始めたのであるが、途中までで挫折し、かつ早い時期に売り払ってしまったので、もうあまりよく覚えていない。他に、河出書房新社の『新鋭作家叢書』、漱石、鴎外の全集、さらに鈴木大拙の選集なども一時期手元にあったが、みな売り払ってしまった。

二度目の大学に入学する迄の受験浪人時代に、もう一度別の書店でアルバイトをした。二回の書店でのアルバイト時代に読んだ本といえば、まず、キェルケゴールの『反復』と『死に至る病』がある。ただ、正直ほとんど理解できなかった。概して、欧州の哲学書、岩波文庫の青版を中心に読んでいたように思う。文学書では、ヘッセの『荒野の狼』ははっきりと読んだ記憶がある。日本の文学では、前述の仲間の影響もあって、秋山駿の批評文をよく読んでいた。なかでも、ドストエフスキーの『白痴』に出てくる「イッポリートの告白」と題された一文は何度も読み返したはずである。

その後、二度目の大学入って、日本の小説とロシアの小説、特に19世紀の小説の翻訳を本格的に読むようになる。しかし、長くなるので今回の投稿はこの辺りで切り上げておこう。あとから思い出すことでもあれば、適宜追記していくつもりである。

(続)

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